革命創始者の命日に寄せて
http://media.ws.irib.ir/image/4bmxc101022059r9w2_800C450.jpg
Pars Today 2017年06月04日15時22分
http://parstoday.com/ja/radio/iran-i30982
依頼
http://egg.2ch.net/test/read.cgi/news5plus/1490796992/109

28年前の1989年6月4日、イスラム革命の創始者のホメイニー師が、努力にみちた、疲れを知らない87年の生涯を閉じました。 このことが伝えられると、イスラム世界に悲しみが広がりました。

ホメイニー師は1902年の9月に、イラン中部のホメインに生まれました。ホメイニー師の政治活動は、彼の研究活動と文化活動と同時期に始まりました。

イランの専制的な王政とアメリカのイラン干渉に対する、ホメイニー師の闘争は、1963年に高まりました。最終的にホメイニー師は王政によってトルコに、そしてその後イラクに追放されました。ホメイニー師は13年間の追放生活をイラクで過ごし、多くの弟子を育てると共に、王政の腐敗した本質や、アメリカの法に反したイランでの拡張主義を明らかにし、啓蒙主義的な発言を行って、イランのイスラム革命が勝利する下地を整えました。

最終的に、闘争が高まった後、ホメイニー師はフランスに移り住み、その後、イランに帰国して、1979年2月にイスラム革命が最終的な勝利を果たしました。イスラム革命の勝利後、イラン・イラク戦争など、大国や、革命の内外の敵の陰謀にもかかわらず、ホメイニー師はこの時期の困難な状況の中、イランの人々を勇気付け、導いたのです。

現代において、イランの人々はホメイニー師の命日ほどのつらい経験を味わったことはありません。彼らは偉大な指導者で、イスラム体制の創始者であるホメイニー師を失ったのです。この偉人は、イランの長い歴史に深い決定的な影響を与え、同時に人々の意志と彼らの宗教であるイスラムをイスラム体制という中で実現しました。

ホメイニー師は、イラン国民やすべてのイスラム教徒にとっての政治家だっただけでなく、偉大な宗教学者であり、人々の指導者であり、また簡素に生活し、抑圧や圧制と戦う人物だとされていました。このため、死後28年が経った今でも、人々の記憶の中で生きつづけています。

現在、世界には抑圧や不正がはびこっています。ホメイニー師の教えは、差別や侵害などに抵抗する必要性に基づいたものでした。ホメイニー師はイスラムを圧制者との戦いにとって、もっともよい動機だとしていました。なぜなら、イスラムの教えは、抑圧に反対しているのがはっきりとわかるからです。ホメイニー師は次のように語っています。

「我々の宗教の戒律は最も進んでいる戒律で、我々の道を決めてくれる。我々はこの戒律により、そして、預言者ムハンマドという偉大な指導者の導きの下で、我々の国を侵略しようとするすべての大国と戦う」

つまり、パフラヴィー朝政権と、そしてアメリカ、シオニスト政権イスラエルと戦うホメイニー師の闘争は、彼がイスラムの価値観を守っていることによって生まれました。抑圧を受けることが不当だとする価値観が、圧制との戦いを求めたのです。

ホメイニー師の明確な特性に、国内外の圧制者との戦いにおける、勇気と決断力を挙げることができます。この特性は、神に頼る精神によるもので、ホメイニー師のすべての行いに明確にうかがうことができます。ホメイニー師は次のコーランの節を深く信じており、口に出してました。

「信仰するものたちよ、もし神の宗教を助けるなら、それはあなた方をも助け、あなた方の歩みを力強いものにする」

このため、ホメイニー師はパフラヴィー王政との戦いの中で、決して失望することなく、アメリカの陰謀に立ち向かう中で決して恐れることはありませんでした。なぜなら、根本的な力は創造主の力で、創造主は自身と人々の支援者だと考えていたからです。大きな力の支えにより、世界の人々はアメリカの拡張主義者や国内の抑圧者に対抗するようになり、彼らの勝利は約束されていたのです。

ホメイニー師が神の次に頼っていたのは、人々でした。ホメイニー師は、人々が目覚め、団結すれば、どのような勢力であれ、彼らに抵抗することはできないと考えていました。ホメイニー師は、彼らが預言者ムハンマドの道に従うことは、最終的にはコーラン第48章アル・ファトフ章勝利の最後の節に当たるとして、次のように述べていました。

「預言者ムハンマドは神に遣わされた。彼と共にある人は、どんな不信心者に対しても、強くあり、彼ら自身の間では親切である」


つづく >>2-5

コメント一覧
つづき >>1

ホメイニー師はくり返し、責任ある立場として人々への対応を強調し、また、情け深い父として彼らを支援しました。人々もホメイニー師に対して深い敬愛の念を抱き、常にその歩みを全身全霊で受け入れ、実行していました。この、ホメイニー師と人々のつながりは、王政を打倒する中で、そしてイラクの独裁者サッダームフセインの攻撃に対してイランを守る中で、明確に現れました。

ホメイニー師は、イスラムと人々の敵に対して、頑強に抵抗してきましたが、イスラム共同体の内部では、統一と団結、イスラムの同胞精神を目指し、各国の政府と国民に対して、団結するよう呼びかけていました。こうした中で、ホメイニー師は、イスラムの敵だけではなく、世界各国の一部の政府や集団が、自身と西側の友好国の利益を確保するために、イスラム教徒の団結と統一に反対していたことを気にかけていました。

ホメイニー師は、ワッハーブ派の逸脱した教義により、イスラム教徒の団結を損なっている最大の政府はサウジアラビア政府だとしています。ホメイニー師はまた、ワッハーブ派思想は逸脱しており、イスラム教徒が退化する要因になるとしました。現在、暴力的な宗派の信徒が、イラクやシリア、アフガニスタン、リビア、イエメンで人々を殺害し、実質的にイスラムの敵に奉仕している状況は、我々も目の当たりにしています。

ホメイニー師はサウジアラビアのイスラム世界に対する背信行為について、あたかも現在その場にいて、それを見ているように語っています。

ホメイニー師はあらゆる困難や障害にもかかわらず、イランで、ワッハーブ派に対抗する中で、進歩的なイスラムと民主主義の象徴となるような体制を立ち上げました。イランのイスラム体制は、38年が経過した今も、世界レベルで、イスラムの原則と人々の投票に基づいた力強い政治体制であると認識されています。

5月19日に行われた最近の選挙も、完全な自由と熱を帯びた競争の中で行われ、人々は大統領と地元の議員を選出しましたが、一方で、サウジアラビアやそのほかのペルシャ湾岸の王政国家には、選挙は存在しません。一方で、ホメイニー師は、イスラム法に基づき、人々への大きな信頼により、はじめからこのような事柄を人々の手にゆだねており、体制のあり方の決定も、人々の投票によって行われました。

ホメイニー師の後継者、イランイスラム革命最高指導者のハーメネイー師は、長年ホメイニー師と親しくしており、ホメイニー師の人々に対する見解について、次のように語っています。

「ホメイニー師が人々について話すとき、感情的ではなく、また、多くの国の民主的だと主張する指導者のようではなく、実質的に人々のために考え、そして彼らの立場に価値を認めていた。ホメイニー師ほど、人々に対し、心から話し、彼らを信頼していた人物は、ほとんど見られない。彼は人々の信仰と勇気を信じていた」

ホメイニー師の葬儀には、人々がこれまでに見られない形で盛大に参加していましたが、これは、人々にすべてをささげ、人々を心から愛し、信頼していたホメイニー師への、人々の感謝をあらわすものでした。この、人々とホメイニー師の深い絆により、28年経った現在も、ホメイニー師の革命的で進歩的な思想は、イランだけでなく、世界のほかの国にも広がっているのです、
最初はホメイニシだと思ってました
オウム真理教でシが師って事を理解しましたよ
マシンガンをぶっ放した後に自爆テロですって

Iran shootings: Parliament and Khomeini shrine attacked
http://www.bbc.com/news/world-middle-east-40184641